病名がわかってすぐ、愛知のおばあちゃんに電話で報告をした。 おばあちゃんも相当ショックを受けていた。 「あんなに元気で活発な子が走れないなんて・・・」 おばあちゃんは、顔を見ないと心配だと言って、すぐに来てくれた。 おばあちゃんが帰る前日(1999年3月9日)、Soは熱を出した。3度目のけいれんを心配して、ダイアップという座薬を使おうかどうしようか迷った挙句、使わずに病院に連れて行った。 その時はまだペルテス病について知識がなかったために、その熱がペルテス病と関係があるのか、ダイアップを使ったらいけない病気ではないのか、とても心配だったのだ。 初めて行く総合病院だった。行ったことのある病院はどこも外来受付が終了していたり、休診だったりしたのだ。 ペルテス病のことと熱性けいれんの心配を伝えると 「ダイアップ、使ってよかったんだよ、お母さん。ペルテスがわかったのは、いつ?」 「2週間くらい前です」 「この熱がペルテスのせいなら、その2週間ずっと熱が出てなきゃ変でしょ!?」 「はぁ・・・」とは言ったものの、納得できなかった。病気が悪化して発熱したっていう可能性はないの? なんて、親はバカみたいに神経質に心配するのだ。 特に私は心配性なのかもしれないけど。 |
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