Soのペルテス病


9.ストレス



 1999年4月1日、先生から重いプレッシャーをかけられてから1週間。私の右耳がへんになった。耳の中で常に低い音が響いているような感じだ。初めてのことだったのですぐに耳鼻科を受診すると
 「気候の変化とストレスで神経が弱ってる」という診断だった。
 ストレス。確かにストレスだ。

 Soの足は歩く以外に使ってはいけない。なのに、いくら言っても言ってもSoは走る、跳ぶ。そのたびに「走っちゃダメ、跳んじゃだめ」と言わなくてはならない。
 時には、どうして走ってはいけないのかを丁寧に説明してみたりもしたが、わかってくれるのはその時だけですぐ忘れてしまう。
 私が怒って「足が治らなくてもいいの!?」と言うと、「いい!!」と言い返すこともあった。
 あんなに活発な子を自由な状態で走らせないというのは無理なことなのだ。

 私が耳鼻科を受診した次の日の夜中、寝ているSoが突然、「お腹いたい」と言って吐いた。風邪をひくとすぐにお腹をこわして吐く子供なのだが、風邪らしき兆候はなかった。2回吐いた。
 翌朝6時、3回目に吐いた時、Soは血を吐いた。“血が混じった嘔吐物”ではなく、“血を吐いた”という感じだった。
 救急医療情報センターに電話で問い合わせると、「意識があるなら、時間を待って、大学病院で受診したほうがいい」というアドバイスだったので、吐いたものを全部キャッチしていたバスタオルを持って大学病院の小児科を受診した。

 「勘でいいですから、どのくらいの量の血でしたか」と聞かれたので
 「100ccくらいだと思います。」と言うと、先生は
 「えっ! 100ccっていったらものすごい量だよ!」と、とても驚いたので、私も自信がなくなり、
 「じゃあ、50ccくらいだったでしょうか・・・。」そこでやっとバスタオルの存在を思い出し、先生に見せると
 「あぁ、これは・・・!」と言ったきり黙ってしまったが、きっとその続きは「・・・結構出たね」だったと思う。

 胃洗浄の為にSoは処置室へ連れて行かれた。胃の出血の度合いを調べるために鼻からチューブで胃に水を入れるのだそうだ。
 処置室で「おかーさん、おかーさん」と泣き叫ぶSo。苦しいだろう、怖いだろう、かわいそうに・・・。

 胃洗浄をした結果、出血はほとんど止まっていた。
 診断は、「最初に吐いた原因は風邪で、そこになんらかのストレスもあって、胃の血管が切れたのだろう」ということだった。

 2日後、もう一度受診した時、「あれ以来、血は吐いていない」と聞くと、先生は
 「不思議だねぇ。あんなに出てたのに、どうしてだろうねぇ」と嬉しそうに言って、Soに、
 「ぼく、ちょっと良くなったからって、まだ何でも食べていいわけじゃないよ。お母さんの言うことをよく聞くんだよ。またゲブーが出たら、いやだろ?」と話した。

 小児整形の先生の「絶対にダメ」という言葉と、いくら言っても走り回るSoの間でいつもピリピリしていた私は、小児科の先生がSoにやさしく話すのを見て「これだったんだ」という気がした。
 私が小児整形の先生に求めていたものは、「絶対にダメ」という言葉ではなくて、先生からSoへの説明だったのだ。私の言うことは聞かなくても、先生なら説得力があるかもしれない。
 そういえば、小児整形の先生がSoに直接話し掛けたことはない。子供が嫌いな小児整形外科医なのだろうか・・・?



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